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Report & Information 2009年7月

GLOBAL 森重行敏

〈BOOK & CD & DVD〉
合本・日本伝統音楽の研究
合本・日本伝統音楽の研究

小泉文夫著 (音楽之友社 本体10,000円+税)

 日本の音階についての研究は明治期の上原六四郎を嚆矢とするが、その批判からさまざまな研究も生まれた。小泉のテトラコルドによる理論もそのひとつといえようが、上原の陰旋、陽旋理論と並んで双璧の感がある。オクターブを単位とする音階概念からすれば、上原理論が理解しやすく、一方、完全四度によるテトラコルド理論は細やかな分析には便利である。結局今なお、日本音階については両者の使い分けが必要なのも事実であろう。そして何より、小泉理論の真価は、わらべうたや「となえごと」のような、むしろ音楽とは思われていない日常の節回しにこそ、その民族の音楽性の原点があるという、音階研究の方法論そのものの確立にある。しばらく入手困難であった本書であるが、筆者の没後にまとめられたリズム編の第2巻との合本で再登場することは喜ばしい。著者の没後早くも四半世紀となった今、新たな世代にこそ読み継がれていってほしい。


『琵琶法師』―〈異界〉を語る人々
『琵琶法師』―〈異界〉を語る人々

兵藤裕己編 (岩波文庫 本体980円+税)

 日本の語り物の原点ともいうべき琵琶がいわば絶滅危惧種であることは、芸能のあり方そのものが大きく変貌したことの証明にほかならない。平家物語を文字だけで理解するのは不十分であろう。本来それは琵琶とともに語られていたものである。箏曲の担い手であった検校たちも、本来の表芸は平家琵琶であったが、もはや名古屋に辛うじて残るのみとなった。九州各地に残っていた盲僧琵琶の伝承も風前の灯火といわれる。最後の琵琶法師と言われた山鹿良之が没して13年。琵琶法師の存在を異界との接点とみなす著者により、その特異なあり方が解明される。薩摩琵琶や筑前琵琶のような近代的種目へと発展した琵琶は、昨今ふたたび注目をあつめつつあるが、楽器の入手困難さだけをとっても緊急の課題は多い。かつてこの国の文化の大きな一翼を担っていた語り物の将来を考える上でも貴重な論考。山鹿の演奏によるDVDも付録として付けられている。


♪日向の琵琶盲僧・永田法順
♪日向の琵琶盲僧・永田法順

(アド・ポポロ 12,000円)

 現存する琵琶法師の活動を伝える文字通り貴重な記録。CD6枚とDVDにより、琵琶による実際の祈祷や弾き語りの様子がおさめられている。平成17年度芸術祭のレコード部門大賞を受賞したもの。最新刊ではないが、前項にも関連してご紹介。

SCHOOL 佐野靖

〈BOOK REVIEW〉
読む力・聴く力
読む力・聴く力

河合隼雄・立花隆・谷川俊太郎著 (岩波書店 本体1,500円+税)

 臨床心理学者、ノンフィクション作家、詩人が、人間の精神活動の基本である「読むこと・聴くこと」の現代における意味を問い直そうとする本書は、「はじめに」「講演」「アンソロジー」「シンポジウム」から構成されている。以下に、特に印象深い表現を取り出しておく。

 「話さば聴け、話さなくても聴け」をカウンセラーの根本とする河合によれば、「ぼーっと聴いている」ということは、「ものすごくエネルギーの要る仕事」である。また、将棋の谷川浩司が言った「研究者と芸術家と勝負師が三つあって初めていい」というのは、カウンセラーにも共通するものだという。その河合にとって、「正面から取り組む姿勢が自然にできてくる」のに不可欠なのが、バッハとモーツァルトの音楽なのである。音楽を聴くことにかかわってこうも述べている。「メロディーの背後にいろいろな音があります。下手をするとわれわれはメロディーだけを聴いていますが、背後に響いているすべての音も共に、全体として聴くことが大切です」と。

 一方、多くの事実を明らかにするために調査・取材を行う立花は、徹底的に「根堀り葉堀り聴く」。立花によれば、「『聴く』というのは同時に『わかる』ということで、『聴く』の本質は『わかる』」である。そして、単に耳に入ってくる音を「聞く」のから「わかる」に変わるためには、「すべて何らかの意味でフィード・バック回路が成立して、自分の行動、行為の結果が自分に入ってくるということが必要」という。

 谷川によれば、「読む」という動詞は目で読むことだけを意味するものではなく、詩の朗読などは他者への働きかけを含んでいる。そこでは、「読むと聞くとがセット」になるのである。また、「読むという言葉ははっきり言葉で整理できるものだけを対象とせず、いわゆるノンヴァーバルなものをとらえる広がりを持っている」ととらえる谷川は、「聴く」も同様に、「沈黙を聞いたり、松籟(しょうらい)を聞いたり、香りを聞いたり、人間の意識下に訴えるものを自分にインプットする働きを表現」するという。さらに、「人の話を聴くというのはどうしても理性が働いていて、意識というものが一番大きな役目をしているけれど、音楽の場合にはどうも理性や意識よりも、もっと深い意識の下のほうにあるものが受け取っているという気がします」と述べている。

 「あとがき」で河合は、「『読む』『聴く』に際し、そこに流れこんでくる情報量は予想外の多いものになってきたし、それに対応する方法をよほどよく考えていないと、むしろ情報の力によって人間が押し潰されてしまうことさえ起こりかねない」、現代人にとっての課題は、「一見相反するような二つの能力をいかに共存させバランスさせるか、ということになるようだ」と総括している。

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