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Report & Information 2008年1月

GLOBAL (森重行敏)

【BOOK】魅せられた身体 旅する音楽家コリン・マクフィーとその時代

小沼純一著 (青土社 本体2,400円+税)

 バリ島の音楽に出会い、その生き方が劇的に変化したという例は古今数知れない。ケチャの創始者ともいうべきシュピースもしかり、そして彼の作ったレコードによってバリに出会った作曲家であり研究家のコリン・マクフィーもまたその例に洩れない。本書はそのマクフィー個人の伝記というより、彼の周辺とその時代に何が起きていたのか、西洋の文化がアジアの片隅のバリの音楽からどんな影響をうけたかなどを、さまざまな断片から浮かび上がらせようとした文化論。音楽における母国語とは何なのか、音楽に魅せられるとは何なのか、こうした根源的問題に対する決定的な結論を急ぐことは本書の目的ではない。バリやジャワのガムランが世界に与えた影響はドビュッシーの例をあげるまでもないが、単純な結果論でなく、芸術の持つ力の意味を考え続けていく立体的な視点が必要であることを本書も提唱しているのだろう。

【BOOK】エスペラント

田中克彦著 (岩波新書 本体740円+税)

 直接音楽についての記述があるわけではないが、山田耕筰や柳田国男の名も出てきてびっくり。エスペラントは人工的な世界共通語として知られているが、その誕生過程や日本での受け入れられ方については案外知られていないことも多かった。宮沢賢治の「イーハトーヴォ」もエスペラントによるとのこと。国境を越えることができ、かつ既成の言語によらないことで中立性を獲得できることが、戦前の日本でも注目された最大の理由であろう。それはまた英米や独仏などの大国から白い目で見られる原因でもある。言葉は神が作ったという聖書的文化からも攻撃されるのだろう。本書はこのエスペラントについての概説のみならず、言語とは何か、民族語と共通語の問題など、音楽のグローバル化とは何か、そして可能なのかについての様々なヒントを与えてくれる。中国がいまだにエスペラント放送局を運営していることも初めて知った。

【CD】KOTOで聴く日本の歌百選

(日本伝統文化振興財団 全10枚 各2,000円)

 文化庁発表の「親子で歌いつごう・日本の歌百選」全101曲を五十音順に10枚のCDに収録。曲目には唱歌や童謡が多いが、キーボードやギターによるモダンな伴奏に箏の旋律が乗っているもので、今どきのポップスを聴いているような感覚で楽しめる。いわゆる懐古趣味ではなく、素朴な旋律だからこそアレンジの腕の見せ所で、しゃれた前奏などなかなか成功している。

SCHOOL (佐野靖)

【BOOK】アート/表現する身体:アフォーダンスの現場

佐々木正人編 (東京大学出版会 本体3,200円+税)

 「アート」の「アフォーダンス」(affordance)について、8つのジャンル(演劇、一人芝居、オーケストラ、ヴァイオリン演奏、アニメーション、舞踏、写真、文楽)からの報告をまとめた本書は、表現者や表現の成立過程にある動きから、アートにアプローチしたものである。プロジェクトの出発点は、「どのアートにも、その中心には、そこだけにしかないオリジナルな身体の動きがあるのではないか」という、信念にも近い仮説。平田オリザ(演出家)や井上道義(指揮者)、吉田勘弥(文楽人形遣い)らアーティストの協力をえた本書は、研究報告とディスカッションから構成されている点も特徴的である。

 「アフォーダンス」とは、「環境が、私たちに与えている行為の可能性」のことであり、「身体と環境の両方がある時に現れる『意味』」を指している。生態心理学を構想したJ.J.ギブソンによって名付けられたアフォーダンスは、英語の動詞アフォード(afford:与える、備える)からの造語である。人は「知覚と行為の循環を生きている」ととらえる生態心理学では、インフォメーション(情報)とコーディネーション(協調)が重要な要素を構成する。私たちの周りには、さまざまな知覚のインフォメーションがあり、人は周囲を知るためにいつも新しい身体の繋がり、コーディネーションを探り続けている、という。

 音楽のアフォーダンスを探索する身体及び運動としては、指揮者とヴァイオリン奏者が取り上げられている。例えば、指揮者(井上道義)に関しては、モーツァルトの《交響曲第25番》第1楽章の前半部の井上の身振りを分析し、井上自身とオーケストラ奏者5名にインタビューを行っている。そこから、井上の一つの身振りが、楽器奏者によって異なる指示として読み取られているケースがあったこと、つまり「同時的な多義性」といえる特徴をもっていたこと、井上の身体が彼独自の仕方で楽曲の構造と結び付いていたこと、さらに、彼の運動がリハーサルの進行にともなってオーケストラとの同期性を高めていったこと、つまり相互関係を変化させていったことなどが明らかになっている。すなわち、「指揮者の行為の可能性(=演奏表現のアフォーダンス)は、彼の周囲の環境に存在するもの(楽曲、他の演奏家からなるオーケストラなど)からもたらされている」というのである。

 編者が感じるように、「アート系」(アートと生活が一体化していること)が広く深く浸透している若者の生活を考慮すれば、本書における身体性への着目やアフォーダンス的な見方は、音楽と教育の在り方をとらえ直す上できわめて示唆に富むものである。

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