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Report & Information 2007年12月

GLOBAL (森重行敏)

【BOOK】音律と音階の科学

小方厚著 (講談社ブルーバックス 本体860円+税)

 副題「ドレミ…はどのようにして生まれたか」にあるように、音階の発生や音律の歴史を手際良く新書判にまとめた快挙。音律論は古代以来洋の東西を問わず音楽理論の主眼であるにもかかわらず、数学的分野であるせいか、音楽家側からの著作は少なく、あるとしても難解な研究書しかないのが実情であった。著者は本業の物理学のかたわら学生たちのバンドでヴィブラフォンを演奏するジャズマンでもある。原稿にあった数式は編集者がばっさりカットしたとのことだが、おかげで数字アレルギーの読者でも安心して読める内容となった。コンパクトながら、明解な音律論から邦楽やジャズの音階論、果てはガムラン楽器の音響分析までという広範な内容で、従来の類書とはひと味違った意見もあって興味深い。今までこの手の本を敬遠していた方にこそお薦めしたい。

 なお、本書では音律とは音階になる前の音の素材のことであると定義しているが、音階の各音を定める計算法のことといった方が適切かもしれない。

【BOOK】パフォーミングアーツにみる日本人の文化力

国際交流基金監修 文化科学研究所編集 (水曜社 本体2,800円+税)

 国際交流基金がインターネットのサイト上で過去3年間にわたって行った芸術家へのインタビューが集められたもの。掲載された30人は劇作家、振付家、音楽家などいずれも海外での評価も高い各分野の気鋭ばかりで、大御所も含むが30代、40代のまさに前途洋々の人材も多い。舞台や公式プログラムでは知り得ない、各自の生い立ちやデビューのきっかけなど、さすがにユニークな内容が多く興味津々。野村萬斎、一噌幸弘といった伝統的家系の出身もいれば、箏の八木美知依、津軽三味線の上妻宏光などの若手も登場。それぞれ立場や方向性はまちまちだが、海外から注目される日本の文化の第一線の作り手たちであり、結局はいかに伝統を革新的に発展させていくかという点では、どこか共通のエネルギーを感じる。声明の新井弘順によれば、海外公演をしたことによりそれまで宗教家としての意識しかなかったものが、初めて音楽家として自覚することができたという。国際交流によって自国の文化の価値を知るということも実は重要なのかもしれない。

【CD】レナード衛藤〈蒼い月〉

(スザクミュージック 2,500円)

 弦楽四重奏と太鼓という異色の組み合わせ。クラシック系奏者ではあっても、醸し出される雰囲気はジャズやタンゴにも近い緊張感と叙情性に満ちたサウンド。アメリカ映画や前衛ダンスにも楽曲を提供しているだけあって、そのセンスはある種こなれたもので、無意味な難解さがないのが好感。箏曲家であった父の作品もとりあげている。

SCHOOL (佐野靖)

 今回は、今井康雄(東京大学)が研究代表者を務めた「『美的なもの』の教育的影響に関する理論的・文化比較的研究」(平成14-16年度科学研究費補助金・基盤研究(B)(1)研究成果報告書、2005年)の中から、興味深い内容の論文を紹介する。

【論文】教育パフォーマンスに関する研究──加入式及び演劇との比較

藤川信夫・原真

 本論文は、教育学研究者の藤川と舞台俳優の原が、一定期間、小学校第1学年の一学級に参与観察者としてかかわった事例研究の成果である。学級という舞台において教師と子どもとの間で繰り広げられるパフォーマンスを観察、分析し、藤川、原、教師の三者が共同で意味解釈を行なったこの研究は、事例として音楽科の授業も取り上げられている。

 それは、鍵盤ハーモニカを扱った授業。子どもの学習の前提条件に大きな差異が見られるこの実践では、最初、演奏経験のない子どもたちが物珍しさや操作ミスでつい楽器を鳴らしてしまう。休止の部分で口からマウスピースをはずすという、技術指導の点では間違った指示をあえて出したり、1分間という時間を区切って自由な演奏を許したりするなど、教師のさまざまな工夫で次第に学級全体は授業に集中し、熱気を帯びてくる。観察者の興味は、まず、この「口からはずす」という指示に引かれる。彼らは、本来の演奏技術を成立させる前提として「授業の時間ユニットを創出するための指導」をあえて行ったと解釈する。興味の第2は、かなり複雑な曲を演奏できる子どもたちが、単調な旋律練習に必ずしも消極的な姿勢を示さなかった点である。子どもたちは、学級の「凝集性」や「一体感」を高めること自体に喜びを見出しているのではないか、というのが観察者たちの推測であり、共通の活動を求める欲求は、子ども同士の忠告にも表れているという。教師の努力によって、さまざまなタイプのパフォーマンスが駆使されたこの実践は、数ヵ月後、器楽や合奏に、子ども発案のゲームや子ども考案の自由な振り付けを組み込んだ、熱気と一体感のあふれる授業として結実したのである。

 すなわち、学級における子どもの活発さや明朗さなどの「らしさ」は、指導に先行して存在するものとしてではなく、むしろ、「長期の教授パフォーマンスの継続によって構成された教師の『教師らしい』人格に対するミメーシスの結果として解釈できるかもしれない」という(ミメーシスとは、「真似」「模倣」「描写」などさまざまに訳される)。

 観察者は、行事や日々の挨拶に見られる儀礼的パフォーマンスも「日々の学習活動に節目を刻み込み、繰り返し再活性化する契機として意味づけた方が適切」ととらえ、「パフォーマンスによる人間形成という着眼点は、これまで必ずしも明瞭に認識されてこなかった学校や学級での営みをより詳細に描き出していくために有効なものとなりうるのではないだろうか」と結論づけている。

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